2017年8月29日火曜日

江戸の湯来を歩く(2) 湯の山

 湯の山明神への石段を上って行くと、弘法大師ゆかりの経塚、旧湯治場、明神拝殿、本殿があります。湯治場、明神拝殿、本殿の杮葺きの屋根は新しく葺き替えられています。旧湯治場の内部はこれから修復されるようです。この湯治場には浅野の殿様も入湯されたようです。岡岷山の絵にもたくさんの温泉宿や明神が描かれており、当時にぎわっていたことが分かります。
弘法大師ゆかりの経塚

湯の山明神参道石段

湯の山旧湯治場


旧湯治場内部

湯の山明神拝殿屋根(杮葺きの屋根が葺き替えられた)

湯の山明神拝殿から本殿への急な石段

岡岷山が描いた湯の山(中国新聞記事より)

2017年8月28日月曜日

江戸の湯来を歩く(1)

 8月26日「江戸の湯来を歩く(湯の山・たらたらの滝)」に参加しました。1797年広島藩のお抱え絵師岡岷山は藩の許可を得て、広島城を出て湯来を経由し北広島町都志見などを巡る旅で、37か所40枚の絵を描き「都志見往来日記・同諸勝図」を残しています。その湯来町湯の山・たらたらの滝を岷山の描いた絵と見比べながら歩くという企画です。地域の郷土史家の方の詳しい説明を聞きながら歩き始めました。ウスヶ重と絵に描かれている大きな岩があります。樹高17、0m 幹の周囲264cmの市指定保存樹のしだれ桜が途中にあります。世話をしておられる近くの家の人の話ではソメイヨシノより少し早く咲くそうです。湯の山温泉への分かれ道に道標があります。この道標は位置は変わっており、断定はできないが岷山の絵にも描かれているものではないかということです。


ウスヶ重

岡岷山が描いたウスヶ重

しだれ桜(市指定保存樹 樹高17、0m 幹の周囲264cm)

道標(左ハゆの山道)

岡岷山の絵にも現在の位置とは違うが道標が描かれている

2017年8月27日日曜日

広島市東区牛田本町安楽寺~清水谷

 二又橋北詰東に道標がたっています。牛田聖天参詣道と書いてあります。牛田聖天は龍蔵院のようですが、今回は訪ねません。かつて官道であった天神通りを通って菅原道真がこの地の湧水を愛で「清水」と名乗るが良いと、その家に「清水」という屋号をつけたという伝承がある、清水谷の牛田村庄屋清水屋利兵衛邸宅跡を訪ねます。この地から湧き出る水は「天神岩清水」と呼ばれ1807年には延々竹樋を通じて縮景園送水されたということです。ここは現在市民農園となっており、井戸には手押しポンプが付いており、市民菜園の散水用に使われていました。


牛田聖天参詣道 道標

天神通り(かつて官道が通っていた道)

牛田村庄屋清水屋利兵衛邸宅跡の隅に手押しポンプが見られる


この地から湧き出る「天神岩清水」が延々竹樋を通じて縮景園に送水された





2017年8月26日土曜日

広島市東区牛田本町 安楽寺を訪ねて

 牛田本町にある安楽寺に行きました。この寺の大イチョウは被爆樹です。爆心地から2,160m。幹には傷痕が見られます。山門はイチョウの枝が突き抜けるように屋根に穴があけられています。このイチョウは本堂を火災から守ったそうです。本堂は被爆建物です。補修されていますが軒下の部材には原爆により焦げた跡が見られるものもありました。
安楽寺山門

被爆大イチョウ(爆心地から2,160m寺を火災から守った)

安楽寺本堂(被爆建物)

原爆により焦げた部材が残されている

2017年8月25日金曜日

日通寺~工兵橋~八剣神社を歩く

 日通寺から京橋川に架かる工兵橋を渡ります。この橋は陸軍工兵第五連隊が牛田の演習場への連絡通路として1889年に架けたのが最初で、その後1933年、1954年と2度架け替えられたようです。原爆投下時には損傷が少なかったため、多くの人々がこの橋を渡って避難したようです。陸軍工兵第五連隊があった場所には慰霊碑が建っていました。京橋川沿いを南に下って行くと、牛田大橋の近くに八剣神社があります。この神社は前にも紹介しましたが洪水でこの場所の堤防が切れるため、人柱を立てて洪水を防ぐ案が出されたとき、それを不憫に思った福島正則が大切にしていた秘蔵の名剣8振りを箱に納めて埋めたところ洪水を堰き止めることができたため、1617年、この地に祠を建て剣の霊を祀ったということです。福島正則が広島を治めていたのは1600年から1619年までのおよそ20年ですが、統治の基盤となるような大きな事業をやったわりに評価されていません。しかし、わずかに残されているこのような思いやりのある面をみると、意図的に功績が隠されたのかも知れないと思えてきました。

工兵橋(1889年に最初の橋が架けられ現在3代目)


陸軍工兵第五連隊が牛田の演習場への連絡通路として架けた

吊り橋のワイヤーを支える土台

陸軍工兵第五連隊があった場所に建つ慰霊碑

八剣神社(1617年建立)

2017年8月24日木曜日

広島市東区日通寺を訪ねて 

 広島市東区牛田新町にある日通寺を訪ねました。日通寺は浅野家2代藩主浅野光晟の夫人満姫(自昌院)の晩年の願いにより元禄8年(1695年)建てられた日蓮宗の寺です。寺の本堂は新しく建て替えられていますが、境内には法界萬霊塔や重い柱を背に乗せ踏ん張っている邪気や手水鉢などの石造物がありました。手水鉢には前田家の家紋の剣梅鉢紋が彫られていました。満姫は前田利家の孫にあたるからでしょう。日通寺の裏には浅野家墓所があるそうです。






日通寺

法界萬霊塔

柱の下で踏ん張っている邪気

手水鉢に前田家の家紋の剣梅鉢紋

2017年8月23日水曜日

8月下旬の縮景園

 8月21日 まだまだ日中は真夏の暑さですが、朝夕は少し涼しくなってきました。広島市中区の縮景園ではムクゲやサルスベリ、ミヤギノハギの花が咲いていました。赤いものがあるのでよく見るとヤマボウシの実です。竹垣の上にはシオカラトンボが来て止まりました。
ムクゲ

ミヤギノハギ

百日紅

ヤマボウシの実

シオカラトンボ

2017年8月22日火曜日

安佐動物公園ナイトサファリに入園(3) イルミネーションZOO

 ナイトサファリでは本物の動物だけでなく、「イルミネーションZOO」と銘打ってイルミネーションの動物も楽しめるようになっていましたバックライトで浮き出る動物の絵の中にはカープ坊やも動物になっていました。バックライトで浮かび上がる動物、電飾の動物やトンネルなど夜の動物園ならではの工夫がしてあり楽しい夜の散歩になりました。
イルミネーションZOO(バックライトで浮き出る切り絵の動物)

カープ坊やも動物になっている

ブラックライトで浮かび上がった動物の絵

電飾のトンネル

電飾の壁

2017年8月21日月曜日

安佐動物公園ナイトサファリに入園(2) 夜の動物たち

 夜の動物たちは昼とは違った顔を見せてくれます。ラクダは横になって寝ていましたが、フラミンゴは盛んに鳴いていました。寝れないので落ち着かないのでしょうか。レッサーパンダは部屋から出たり入ったりしています。この時期昼には部屋の中で寝ていたのですが夜になると元気が出ています。キリンやアフリカゾウもよく動いています。
フラミンゴ

レッサーパンダ

キリン

アフリカゾウ

2017年8月20日日曜日

安佐動物公園ナイトサファリに入園(1) 神楽鑑賞

 8月19日の夕方安佐動物公園で行われているナイトサファリに散歩を兼ねて出かけました。ナイトサファリは8月12日(土)~9月3日(日)の土日に行われています。夕方の散歩は涼しくて気持ちがいいです。 今年のナイトサファリでは土曜日には6時30分から7時30分まで神楽が上演されています。今日はあさひが丘神楽団による悪狐伝が上演されていました。すでにたくさんの人が座って見ていました。悪狐伝は「宮廷を追われた悪い狐が美しい女性に化けてお寺に一夜の宿を乞い、許されるとその住職を食べてしまう。勅命を受けた三浦介と上総介が悪狐退治にやってきて奮闘の末ついに仕留める。」というストーリーです。子どものころから何度も観た演目ですが、狐の変わり身も速く迫力があり、楽人と舞手との息もぴったり合っていて熱演に大きな拍手がわきました。動物園で狐退治というのも奇妙な取り合わせですが楽しめました。
ナイトサファリで神楽(悪狐伝)の上演

お寺の住職が狐に食べられてしまう

悪狐との戦い(狐は太鼓の上から飛んだりして奮闘)

三浦介と上総介によってついに仕留められる

2017年8月19日土曜日

カープ、リーグ優勝へのマジック25

 8月19日昼 紙屋町地下のシャレオ中央広場では「勝ちグセ」のカウントダウン壁画がM25を表示していました。地上に出てみると、広島銀行本店には広島銀行本店には燃えろカープ!!の懸垂幕とリーグ優勝へのカウントダウンM25の横断幕が掲げられ、その前をカープのラッピング電車が走っています。広島は真っ赤に燃えています。カープはこれからどんどん優勝へのマジックを減らしていってくれることでしょう。


紙屋町地下シャレオではセリーグ優勝へのマジック25の表示

広島銀行本店前をカープのラッピング電車が走る

広島銀行本店には燃えろカープ!!の懸垂幕とリーグ優勝へのカウントダウンM25の横断幕