2017年4月13日木曜日

福山市鞆の浦を訪ねて(8)鞆城跡から大可島城跡に向かう

 港町らしく碇が店先に置いてある舩具店の前や今も使われている井戸の前を通って山中鹿之助の首塚に行ってみました。尼子氏の再興を図り毛利氏と戦った山中鹿之助は岡山県の阿井の渡しで打たれ、この地で足利義昭や毛利輝元に首実検されたそうです。胴塚は岡山県の阿井の渡しにあります。首と胴体が分けられて埋葬されるとは改めて厳しい世の中だったことが実感できました。近くに「ささやき橋」があります。応神天皇のころ、この橋のところで役人と官妓が毎夜恋を語り合っており、それが噂となり許されない恋ということで海に沈められてしまったという悲しい話が語り継がれていることから「密語(ささやき)橋」といわれるようになったようです。街中を歩いていると森下仁丹の懐かしい看板が掛っています。夾明樓上り口には森下仁丹の創業者の森下 博の建てた石柱がありました。森下 博は鞆の出身だということを今回初めて知りました。

舩具店前の碇

今も使われている井戸

山中鹿之助の首塚

ささやき橋

森下仁丹の看板

夾明樓上り口の石柱(森下博が建てる)

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