2017年2月28日火曜日

柳井市上関町皇座山に登る(1)相浦~登山開始

 2月19日、久しぶりに良い天気です。山口県柳井市上関町の皇座山に地域の山の仲間と登りました。この山は源平合戦の時、安徳天皇がこの山を越え、赤間関に向かった時、頂上で休んだため皇座山という名前が付いたそうです。バスは柳井市上関町相浦集会所の広場に到着し、早速、身支度を整え登り始めました。地蔵様のところを左折しなければならないのですが、標示が分かりにくく、直進してしまいました。引き返しミカン畑の間の道を進むと、分かれ道で登山道を指差してくれています。分かりにくい道なので有難いです。早速、急坂です。
柳井市上関町相浦集会所の広場に到着

地蔵様のところで左折しなければならないのだが・・

登山道を分かり易く指差している(有難い)

いきなり急坂になる

2017年2月27日月曜日

2月末の縮景園のウメ

 2月27日、縮景園に行きました。天気がよく、梅林では丁度ウメの花が見頃です。たくさんの観光客が訪れ、カメラやスマホを向けて写真を撮っていました。私もパチリ。広島地方気象台標本木のウメも満開、園内にはいろいろな種類のウメの花がありますが、紅枝垂れという種類のウメの花もきれいに咲いていました。
縮景園の梅林

広島地方気象台うめの標本木は満開

広島地方気象台うめの標本木の花アップ

紅枝垂れ

八重の花が満開

2017年2月26日日曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(12)耕三寺④ 未来心の丘

 上に上がっていくと、真っ白な不思議な世界が目の前に現れました。説明板によると、これは「未来心の丘」というイタリア産の大理石を使った環境造形で広島県出身の彫刻家杭谷一重氏が制作されたそうです。各モニュメントの形と置かれた方角は仏の世界を守護する十二天に関連しており、現代アートの力を借りて仏教の世界観を表現した庭だそうです。「未来心の丘」から下りていると河津桜のつぼみがソメイヨシノより一足早く開きはじめていました。
未来心の丘(杭谷一東氏制作)

イタリアの大理石を使い仏教の世界観を表現している

各モニュメントは十二天と関連している

光明の塔に日光が重なる

河津桜のつぼみが開きかけていた

2017年2月25日土曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(11)耕三寺③ 孝養門

 日光東照宮の陽明門を模して10年の歳月を要して造られたという孝養門に向かいます。木組み、寸法は陽明門と同じですが、彫刻、金具、彩色などは仏教様式を取り入れています。

耕三寺孝養門

日光東照宮の陽明門を模した(木組み、寸法は陽明門と同じ)

彫刻、金具、彩色などは仏教様式を取り入れている

孝養門(完成まで10年を要した)

2017年2月24日金曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(10)耕三寺②

 耕三寺の石段の欄干は大理石で出来ています。欄干には俳句が刻まれ、柱頭には狛犬がいました。母親の菩提の追悼のために建てられたお寺だけに、子連れ狛犬が印象的でした。紅梅が綺麗に咲いていました。
石段の欄干

俳句と狛犬

柱頭の子連れ狛犬

紅梅が美しい

2017年2月23日木曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(9)耕三寺①

 耕三寺山門前に来ました。耕三寺は耕三寺耕三和上が御母堂の菩提追悼のために、建立した浄土真宗本願寺派の寺院です。飛鳥・奈良・鎌倉・江戸の郭時代の代表的仏教建築の様式や手法を取り入れて昭和11年から30年余りの歳月をかけて造られた堂塔は正に仏教建築の博物館です。極彩色の建物は現在のお寺のイメージとは違いますが、昔、建てられた当時はこのような派手な色で当時の人々の心を驚かせたのだろうと想像できます。
耕三寺山門(京都御所・紫宸殿と同じ様式)

中門(法隆寺の西堂伽藍を原型としている)

飛鳥・奈良・鎌倉・江戸の郭時代の様式や手法を取り入れて建立された建物群

五重の塔(室生寺の塔を原作としている)

2017年2月22日水曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(8)向上寺~亀の首地蔵~石風呂跡~しおまち商店街~耕三寺②

 しおまち商店街を通って耕三寺に向かいます。商店街の入口には古い町屋があります。商店街はかつて訪れた時は賑やかだったような気がしますが、今はすっかりシャッター街になっています。乾物屋さんは開いていました。ここで鯵の干物をゲット。大墓(德本上人名号碑)が建っていました。案内板によると当地の豪商片山彦右衛門を願主として弘化4年(1847年)に建てられたということです。
しおまち商店街入り口の古い町屋

しおまち商店街

乾物屋さんは開いていた

大墓(德本上人名号碑)

2017年2月21日火曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(7)向上寺~亀の首地蔵~石風呂跡~しおまち商店街~耕三寺①

 梅の花が咲いている道を通って下山します、振り返ると向上寺の三重塔の美しい姿が見えます。目の前にはこれから向かう耕三寺が見えます。麓に下りて海岸沿いの道を気持ちよく歩いていると、道端の畑にはスイセンが咲いています。亀の首地蔵という亀の首岩と地蔵さんの伝説のあるところに来ました。岩の前の海の中に地蔵様が座っています。瀬戸田水道は狭い上に潮の流れが速いため海難事故が多かったため海難防止を祈願して地蔵を建てたようです。生口島と高根島を結ぶ黄色い高根大橋の下に石風呂跡がありました。蒸し風呂であったようですが、いつごろまで使われていたのでしょうか。
梅の花が咲いている道を通って下山(振り返ると向上寺の三重塔)
耕三寺が見える


亀の首地蔵

スイセン

石風呂跡


2017年2月20日月曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(6)向上寺③ 平山画伯が描いた三重塔

 向上寺三重塔は瀬戸田町出身の平山郁夫画伯が好んでスケッチした場所です。画伯がスケッチした場所に絵の陶板が立てられていました。同じ場所から写真を撮ってみました。



平山郁夫画伯「しまなみ海道五十三次スケッチポイント」
三重塔の裏山の頂上付近から
三重塔の裏山の頂上付近から

平山郁夫画伯「しまなみ海道五十三次スケッチポイント」三重塔東から
平山郁夫画伯「しまなみ海道五十三次スケッチポイント」三重塔東から撮影

2017年2月19日日曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(5)向上寺② 三重塔

 向上寺は国宝の三重塔があることで有名です。石段を上っていくと三重塔の美しい姿が見えてきます。三重塔は永享4年(1432年)に建立された藤原朝臣作の塔です。ひじ木の先の彫刻や組み物などが見事です。九輪先端まで19m52cm。全体は和様を基調としていますが、初重は扇垂木や花頭窓など唐様の手法を取り入れている折衷様の建物です。
向上寺三重塔への石段

向上寺三重塔(国宝 永享4年(1432年)建立

初重は唐様の手法が取り入れられ、ひじ木の先の彫刻や組み物が見事

扉部分

2017年2月18日土曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(4)向上寺①

 石段を上って向上寺山門に来ました。紅梅が咲いています。山門をくぐり参道を進むと、大きな岩の前に鳥居が建っています。この鳥居は通れません。どういう意味があるのでしょう。向上寺境内に入ると本堂がありました。向上寺は室町時代の初期、応永11(1403)年生口守平の開基、愚中周及の開山により臨済宗の寺院として建立された寺です。江戸時代に曹洞宗に改宗されたそうです。境内には県重要文化財の銅鐘がありました。天文24年(1555年)三原鋳物師により製造されたものです。
向上寺山門

紅梅が咲いている

不思議な鳥居

向上寺本堂

向上寺銅鐘(天文24年(1554)製造県重要文化財)

2017年2月17日金曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(3) 瀬戸田港~生口神社~向上寺②

 生口神社は祇園社で茶臼山城を拠点とした生口氏の保護を受けていたようです。生口神社には万延元年(1860年)奉納の狛犬がいました。向上寺に向かいます。分かれ道で案内地蔵が案内してくれました。助かります。
生口神社石段

生口神社社殿

生口神社狛犬(阿形)万延元年(1860年)奉納

案内地蔵