2015年10月31日土曜日

安芸高田市高宮町 佐々部のカキノキ

 安芸高田市高宮町佐々部に県天然記念物のカキノキがあります。樹高12m、胸高幹囲2、31mの大きな古木です。安芸の国では享保年間(1716~1736)柿渋を搾るため柿の木を植樹したという記録が残っているので、その時植えられた木だとすると、樹齢おおよそ280年と推定されています。曲がりくねった枝が血管のように見えます。
佐々部のカキノキ(県天然記念物)

樹高12m(曲がりくねった枝が血管のように見える)

胸高幹囲2、31mの太い幹(樹齢おおよそ280年と推定される)

安芸の国では享保年間(1716~1736)柿渋を搾るため柿の木を植樹した。

2015年10月30日金曜日

北広島町 日山城跡に登る(8) 三の丸・本丸・出丸

 下り丸から本丸への道に進むと本丸と三の丸の分岐点に来ました。三の丸の写真を撮って、いよいよ本丸への急坂を上ると、そこはススキとセイタカアワダチソウが生い茂る原となっていました。雑木がさえぎって見晴らしはよくありませんが木々の間から大朝方面が見えました。三角点があります。少し西に進むと出丸がありました。ここも雑草や雑木が生い茂っており見晴らしがよくないのが残念でした。在城期間は短いとはいえ名将吉川元春の居城です。整備してほしいものです。
本丸と三の丸の分岐点

三の丸

本丸(ススキとセイタカアワダチソウの原となっている)

大朝方面が木々の隙間から見える

三角点がある

出丸

2015年10月29日木曜日

北広島町 日山城跡に登る(7) 本丸への道

本丸方向に向かいます。途中大きなどんぐりが落ちていました。こういう大きいどんぐりを見ると思わず拾って独楽か笛を作りたくなります。少し進むと、平積みの石垣がありました。よく見ると石を割る時できる矢穴が見られる石もあります。坂を上ると下り丸という郭がありました。かなり広い平坦地です。
本丸方向へ

どんぐり

平積みの石垣

矢穴が見られる


下り丸分岐点
下り丸

2015年10月28日水曜日

北広島町 日山城跡に登る(6) 二の丸

 二の丸に行きます。尾根上の道を進むと、二の丸という立札がありました。広い郭ですが、日当たりが良いため、笹や雑木が生えています。二の丸から南方向を展望することができました。地籍三角点と書かれた表示があり、コンクリートの標柱が埋めてありました。地籍三角点とは地籍調査の基準となる点だそうです。
二の丸への道

二の丸

二の丸からの展望(大朝の町が見える)

地籍図根三角点(地籍調査で基準となる点)

2015年10月27日火曜日

北広島町 日山城跡に登る(5) 大門の原・姫路丸・大広間の段

 中城から細い登山道を進むと大門の原という広い郭に着く、姫路丸と書かれている方向に行くと、小高い丘のようになっている郭がありました。大門の原の中の平坦な道を進み、また坂を少し登ると大広間の段と書かれている所に着きました。小さな学校の校庭ぐらいはありそうな広い郭です。さらに進むと二の丸と本丸との分かれ道がありました。
大門の原

姫路丸(小高い丘になっている郭)

大広間の段(小さな学校の校庭ぐらいありそうな広い郭)

二の丸と本丸の分かれ道

2015年10月26日月曜日

北広島町 日山城跡に登る(4) 登山道③米蔵段~中城

 米蔵段はかなり広い平坦地になっています。ここにどのような蔵が建っていたのでしょうか。登山道にもどり、しばらく進むと、中城口と書かれた表示がありました。その道を進むと登山道脇には土塁が築かれています。しだいに山城らしくなってきました。中城は広い平坦地です。どのような役割の場所なのでしょう。本丸に向かってさらに登って行くと、山城にはつきものの矢竹林がありました。戦国時代から何百年も命をつないできたのでしょう。
米蔵段(かなり広い平坦面がある)

中城口

登山道脇の土塁

中城(広い平坦地になっている)

本丸への道脇は矢竹林になっている

2015年10月25日日曜日

北広島町 日山城跡に登る(3) 登山道②

渓流沿いの登山道をどんどん登って行くと、渓流が小さな滝になっている所もあります。浄必寺跡と日山城跡との分かれ道に来ました。今日は浄必寺跡には寄らないで日山城跡を目指します。城に近づくと登山道は険しいV字谷になってきます。とても攻めにくい山城だということが分かります。しばらく登ると米蔵段と本丸との分かれ道に来ました。米蔵段に寄って行くことにしました。米蔵段に向かう道には石垣が見られます。当時のものでしょうか。
渓流は小さな滝になっている所もある

浄必寺と日山城の分かれ道

登山道脇はV字谷になっている

米蔵段と本丸との分かれ道

米蔵段に向かう道には石垣が見られる

2015年10月24日土曜日

広島城大菊花展

 今年も10月24日、今日から11月8日までの期間で広島城大菊花展が開催されます。早朝行ってみると二の丸には「広島秋景色」と題した特作花壇がありました。菊の中に大きな鯉、観客席をファンが真っ赤に染めた球場、中央にはVの文字。こんな秋景色が見たかった。来年こそ優勝という大輪の花を咲かせてください。
広島城裏門の広島城大菊花展立て看板(10月24日~11月8日まで)

小菊が飾られた御門橋を渡り、二の丸門をくぐると二の丸に特設花壇がある

 今年の特作花壇の題は「広島秋景色」菊の中で鯉が泳いでいる

 鯉と球場の観客席を真っ赤に染めたカープファン、そして真ん中にはVの文字 こんな秋が迎えたかった 

カープの皆さん 来年こそ大輪の花を咲かせてください

2015年10月23日金曜日

北広島町日山城跡に登る(1) 常仙寺跡 

10月19日、北広島町の吉川元春の居城日山城に登りました。登山道入口の駐車場に車を止めていよいよ出発です。この駐車場にはトイレも設置されており車を2~3台止めるスペースがあります。登山口には常仙寺跡があります。常仙寺は毛利元就に謀殺された吉川興経の菩提所です。吉川興経の墓所は吉川元春が建立したと伝えられています。吉川興経の墓の上手には犬塚があります。深川で首を切られた興経の首をくわえて帰った犬の塚という伝承と、興経の首を持ち帰った重臣の墓という伝承が残っています。
日山城駐車場

常仙寺跡入口

常仙寺跡には吉川興経の墓がある

吉川興経は毛利元就の謀略で殺された

この墓所は吉川元春が建立したと伝えられている

犬塚(この地まで愛犬が興経の首をくわえてきたと言われている)

2015年10月22日木曜日

北広島町 日山城跡に登る(2) 登山道①

 常仙寺跡から日山城への登山道に戻り、いよいよ登山開始です。日山城は吉川興経を隠居させ、吉川氏を継いだ毛利元就の次男の吉川元春が1550年にそれまであった山城を整備して本格的な城塞としたものです。登山道脇の杉林の中に石垣が見えます。家臣の屋敷跡でしょうか。登山道の分かれ道には案内表示があるので助かります。渓流沿いの気持ちの良い山道を歩いて行くと、初めは緩やかな坂道だった道も渓流を跨いだころから、細く、勾配がきつくなってきました。
登山道脇の石垣(家臣の屋敷跡?)

登山道分かれ道

渓流を跨ぐ

渓流沿いの道は細く勾配がきつくなってくる

赤穂を訪ねて(11) 花岳寺

 花岳寺に着きました。この寺の山門は元赤穂城の塩屋惣門で、赤穂市文化財に指定されています。山門を潜ると大石名残の松がありました。この松は二代目です。右手の鐘楼には「鳴らずの鐘」が下がっていました。この鐘は討ち入り成功の知らせを聞いた人々が激しく打ち鳴らしたため、以後鳴らなくなったので、寛政9年に改鋳したもので、そのことが銘文に書かれています。境内には忠義塚、義士墓所、義士家族墓、義士木像堂、義士宝物館などがありました、浅野家霊廟前には子連れ獅子がいました。「無怨塔」と名付けられた七重の石塔がありました。赤穂城から移設されたもののようです。傍らに「うらみなし 心の自由 世の平和 智慧あり 慈悲あり まよいなし」という言葉がありました。四十七士は義士として讃えられています。しかし、この事件は藩主の短慮な行為は家臣だけでなく、民にとっても、大変不幸な出来事でした。赤穂事件は人々の平和な暮らしを守るためのリーダーの役割の重さ、平和な世界を築くために一人ひとりがしなければならないことは何かを今に伝えてくれているような気がします。JR在来線での一日旅、いい旅でした。


花岳寺山門(元赤穂城の塩屋惣門 赤穂市文化財)

本堂前の二代目大石名残の松

鳴らずの鐘

忠義塚

義士墓所(赤穂四十七士の墓 髪が埋められたという)

浅野家霊廟の前には子連れ獅子がいた

無怨塔「うらみや争いを捨て、心の自由と安らぎを得てほしい」