2015年1月31日土曜日

三原市本郷 新高山城址を訪ねて(3) 橘神社 

 先を急ぐ気持ちもありますが、この長い石段を見たら上らない訳にはいきません。石段上りはいい運動になります。途中変わった形の石灯籠がありました。橘神社本殿は手の込んだ立派な作りです。説明版によると、橘神社は神功皇后が九州下向の折、この地に止宿したことを起源とし平安時代880年に創建したと伝えられている古社で小早川氏の庇護を受け栄えたようです。小早川隆景の名前も見られます。この神社で戦勝を祈願して戦さに出て行ったのでしょうか。ここにもまた狛犬がいました。大正5年奉納の尾道玉乗り型の狛犬です。

石段途中にある灯籠

橘神社本殿

橘神社境内狛犬(玉乗り型)大正5年奉納

橘神社境内狛犬(吽形)

2015年1月30日金曜日

三原市 本郷新高山城を訪ねて(2) 新高山城への道(2)

 沼田川に架かる本郷橋を渡って、沼田川の上流に向かいます。新高山城址(左)と高山城址(右)が沼田川を挟んで対峙しています。今回は新高山城址に登ります。途中3本並んで道標が立っています。経塚、弥生本郷遺跡は気になりますが、先を急ぎます。どんどん歩いて行くと橘神社の鳥居の前に来ました。鳥居の向こうに狛犬が2対もいます。これは立ち寄らないわけにはいきません。鳥居は貞享5(1688)年尾道石工によって作られたものです。鳥居をくぐって狛犬を見ると前列の狛犬は天保6(1835)年に奉納されたものでした。とても俊敏そうです。後方の狛犬は尾道玉乗り型で奉納年は不明です。
新高山城址(左)と高山城址(右)

3本並んで立つ道標

橘神社参道

橘神社参道狛犬(阿形)

狛犬(吽形)
橘神社参道狛犬後方(阿形)天保6年奉納

橘神社参道狛犬後方(吽形)

2015年1月29日木曜日

三原市 本郷 新高山城を訪ねて(1) 新高山城への道

 1月25日(日)今回は三原市本郷の小早川隆景の居城であった新高山城に行ってみることにしました。JR本郷駅で電車を降り、まず旧西国街道沿いにある道標まで行きました。道標には佛通寺道・稲荷道と彫られています。今回はここが出発点で西国街道を西に向かいます。沼田川の川土手まで来ると、上市の石地蔵がありました。これは下市の石地蔵をモデルに、天保14(1843)年 天保の飢饉やコレラの流行で亡くなった村人を供養するため、大安実悟尼を願主として建立されたものです。その近くには大渡大師堂、その背後には大石灯籠がありました。かつて道行く人々を照らした常夜灯です。
旧西国街道沿いに立つ道標(佛通寺道・稲荷道と彫られている)

 上市の石地蔵(天保14(1843)年 天保の飢饉やコレラの流行で亡くなった村人を供養するため、大安実悟尼を願主として建立された)

大渡大師堂

大石灯籠(安政4年建立)

2015年1月28日水曜日

広島市中区 江波を訪ねて(4)

 衣羽神社社殿の横を上っていくと、社殿の裏の小高いところに見事な枝ぶりの松が立っています。これは「風知りの松」といって、かつて江波島の漁民はこの松の葉が閉じていると嵐が来ることを予知し漁に出ることを用心したそうです。更に上っていくと龍光院というお寺がありました。これは広島新四国八十八ヶ所霊場77番で「江波の観音さま、お大師さま」として親しまれているお寺です。ぼけ封じ観世音菩薩と書かれた幟が立っていたのでしっかりお参りしました。さらに西に進むと江波山気象館がありました。この建物はかつて広島地方気象台だった建物で被爆建物です。爆心地から3630mにあり、原爆により曲がった窓枠やガラスが突き刺さった壁に被爆の痕跡を残しています。さらに東に進むと江波山公園があり、そこに設置されているトイレの外壁には幻の焼き物と言われている江波焼きの皿が埋め込まれていました。
 風知りの松(江波島の漁民はこの松の葉が閉じていると嵐が来ることを予知し漁に出ることを用心した)市指定保存樹

龍光院(広島新四国八十八ヶ所霊場77番江波の観音さま、お大師さまとして親しまれている)

 江波山気象館 (旧広島地方気象台被爆建物 昭和9年竣工 爆心地から3、630mで原爆の爆風で曲がった窓枠やガラスの破片が突き刺さった壁に被爆の痕跡を残している。)

江波焼きの皿(江波山公園のトイレにはめ込まれている)

2015年1月27日火曜日

広島市中区江波を訪ねて(3)

 衣羽神社参道の急な石段を上って行くと市指定保存樹のモッコクが石段脇にそびえていました。石段を上りきると立派な社殿が建っていました。宝暦3年(1753年)に建てられた建物のようです。説明版によると鎮座年代は不詳だが、近郊で最古の式内社のようです。拝殿には大きな絵馬が置かれており、たくさんの人々の願いが寄せ書きしてありました。みなさんにとって今年が良い年となるといいですね。境内からはかつては瀬戸内海の海島が良く見えたと思われますが、まわりは家や道路がぎっしりです。遠く黄金山が見えました。
衣羽神社参道石段(左脇に市指定保存樹モッコクがある)

衣羽神社拝殿(鎮座年代不詳だが近郊で最古の格式の高い式内社 宝暦3年1753年の建物)

衣羽神社本殿

大きな絵馬(たくさんの人の今年の願いが寄せ書きされている)

衣羽神社からの眺め

2015年1月26日月曜日

広島市中区 江波を訪ねて(2)

 海神宮から引き返し、衣羽神社に向かいます。江波には地域の「Foreverほぉ~江波の会」の方が説明版を随所に設置してくださっており、大変助かりました。途中明治時代に建てられた立派な幟立て、江戸時代に日本の海岸線を実際に歩いて測量し「大日本沿海輿地全図」という正確な日本地図を作った伊能忠敬がこの地に泊まり、景色を讃嘆したという場所を通り衣羽神社に着きました。地名は「江波」ですが神社名は「衣羽」と書いて「えば」と読むようです。ここにも天保9年(1838年)に奉納された愛嬌のある顔をした玉乗り狛犬がいました。
幟立て(明治43年奉納)昭和初期まで使用していたらしい

 伊能忠敬讃嘆の地(伊能忠敬が正確な日本地図を作るため日本の海岸線を測量したとき、この地に泊まり、海島を眺めて、「絶景なり」と日記にしたためたという。当時はこの地は島だった。

江波の随所に説明版が設置してある(「Foreverほぉ~江波の会」制作)
衣羽(えば)神社正面参道の鳥居

参道の狛犬(阿形)天保9年(1838年)奉納

参道狛犬(吽形)玉乗り尾道型だが、耳が垂れている

2015年1月25日日曜日

広島市中区江波を訪ねて(1)

 1月24日広島市中区江波に行ってみました。早速迎えてくれたのは道路中央に立つ「おさん狐」です。おさん狐は江波の昔話に出てくる皿山に棲んでいた愛らしいキツネです。トンネルを抜けて海岸に行くと港に漁船がたくさん係留されていました。江波は牡蛎養殖が盛んなところです。海の上に建った建物の下に伝馬船(明神丸)がありました。これは厳島神社の管弦祭に参加する漕伝馬です。昔から呉の阿賀と江波の漕伝馬だけが御座船を曳くことが許されているのだそうです。中でも厳島神社の枡形の中にまで入ることを許されているのは江波の漕伝馬だけだそうです。港の先に海神宮がありました。この社は被爆建物です。
おさん狐(江波のシンボル)

江波の港には漁船がたくさん係留されていた

漕伝馬(明神丸)厳島神社の管弦祭の時御座船を曳く

厳島神社管弦祭で枡形で回転する江波の漕伝馬(2013、7、24撮影)

牡蛎筏から船で運んで来られた牡蛎はここからかきうち場に水揚げされる

海神宮(被爆建物爆心地から3360m)

2015年1月24日土曜日

広島駅南口B・Cブロック再開発工事NOW(14)

 1月23日夕方、デパートで行われている院展を見に行ったので、広島駅南口B・Cブロックの再開発工事の様子を見てみました。Bブロックは随分高くなって最上部が目の前に迫ってきました。最上部で働いておられる人がよく見えます。Cブロックも少しずつ高さが出てきました。
広島駅南口Bブロック再開発工事(1月23日)

広島駅南口Bブロック再開発工事ビルが目の前まで高くなってきた。(1月23日)

最上部で働く人たち

広島駅南口Cブロック再開発工事

少しずつ高くなってきている

2015年1月23日金曜日

長束神社 太田川総水神・石灯籠

 先日太田川の野鳥観察をしたとき、集合場所だった祇園大橋北詰に長束神社の石碑があり、太田川総水神と書いてあるのが気になったので、再び長束神社に行ってみました。宮司さんに聞いてみると、太田川総水神は、太田川全流域の水の神で、太田川下流域の洪水抑制のため、昭和初期から建設工事が続けられてきた太田川放水路の通水式が1965年(昭和40年)に行われたことを記念し、またこの後広島平野を水魔から守護することを祈念して、長束神社に相殿(あいどの)として祀られたのだそうです。この前は急いでいてわからなかったのですが、今回境内をじっくり見てみると、おそらく江戸詰めとなった藩士が文政6年(1823年)奉納したのではないかと思われる石灯籠もありました。
太田川総水神の石碑
長束神社の立看板(合言葉がおもしろい)

長束神社(1月18日撮影)

広島平野の洪水防止のため作られた祇園水門・大芝水門・太田川放水路(昭和42年完成)

長束神社の石灯籠(江戸詰めとなった藩士が奉納したのではないかとのこと)



2015年1月22日木曜日

鉄の柵を食べる柳

 横川から十日市に向けて天満川沿いの散歩道を歩いていると、道沿いに柳が植えられています。よく見ると鉄の柵を食べている木がありました。柵と柳の木が近すぎたため、柳の木が大きく育ってくると柵に当たってしまったのですね。柳の木の生命力に驚かされましたが、これからどうなるのでしょうか。
天満川沿いの散歩道に柳が植えられている。

柳が鉄の柵を食べている!

2015年1月21日水曜日

太田川の野鳥観察(2)

 アシの茂った河川敷を歩きます。枯れたアシが青空に映えてとてもきれいです。清々しい空気を吸いながら川に浮かぶ水鳥や河原の藪の枝や電線に止まる小鳥を観察します。コサギ、カワウ、マガモ、カルガモなどの水鳥やツリスガラ、キジバト、ムクドリそしてカワセミが美しい姿を見せてくれました。今回は横着をしてコンパクトカメラしか持参しなかったのできれいに写せませんでした。残念。途中白猫にもあいました。気持ちの良い野鳥観察でした。
アシの茂った河川敷を歩く

青空に枯れたアシが映えて美しい

カワウが羽を休めていた

カワセミが飛んできた

ムクドリがたくさん電線に止まっていた

白猫にあった