2015年5月31日日曜日

三原を訪ねて 三原城跡1 天主台跡

 5月25日、三原に所用があり行きました。待ち合わせの時間まで少し間があったので、三原城に行ってみました。JR三原駅は三原城の中に建てられているので、天主台には駅から直接行くことができます。三原城は小早川隆景によって築かれた城です。瀬戸内海から見た際、海の上に浮かんでいるように見えることから浮城とも呼ばれていたようです。天主台に上がってみると、きれいに整備されており、サツキが咲き始めていました。駅の建物の下には石垣が残されています。
三原城天主台石垣

三原城跡は国指定史跡

サツキが花を咲かせ始めており、きれいに整備されている。

JR三原駅の下になっている石垣

2015年5月30日土曜日

東京都狛江市西野川の八幡神社の子連れ狛犬

 「歴史さんぽ東京支部」から、東京都狛江市西野川の八幡神社の子連れ狛犬の写真を送っていただきました。社殿の前に子連れ狛犬がいます。広島辺りの狛犬に比べ、とても彫が優しく耳や尻尾も垂れており、表情も穏やかです。阿形、吽形共に子狛を連れています。どちらも子狛に優しく手(前足)を掛けています。子狛も安心しきっているようです。是非現地で実物に逢いたいものです。各地に歴史さんぽの支部が出来、耳より情報を送っていただくとうれしいです。
東京都狛江市 八幡神社参道

八幡神社社殿の前に子連れ狛犬が!

吽形(彫が柔らかく耳も尻尾も垂れ、子狛を柔らかく包み込むように手(前足)を掛けている。)

阿形(こちらも子狛を連れている。笑顔で優しく抱っこしているようだ。)

2015年5月29日金曜日

府中市を訪ねて(4) 上下 翁座

 神楽鑑賞の後、バスで上下に向かいました。上下では、前回個人で訪れたときは閉まっていて、入れなかった翁座の内部に入り、説明を聞くことができました。内部は、賑わっていた当時に近い形で保存されていました。大正時代に建てられた建物で、天井は音響効果を考えた造りになっていました。舞台袖には、奈落もありました。二階に上がると、懐かしい昔の映画のポスターが展示してありました。終戦当時はあの高田浩吉、鶴田浩二、大友柳太朗なども出演したそうです。
上下翁座(大正時代の建物)

翁座内部(かつて集会や芝居・映画の上映などが行われる劇場としてにぎわっていた)

音響効果を考えた天井

舞台袖にある奈落

二階に昔の映画のポスターが展示してある

2015年5月28日木曜日

府中市を訪ねて(3) 井永八幡神社の狛犬

 井永八幡神社では5組もの狛犬が迎えてくれました。石段の下では新しい玉乗り型、中段では構え型で阿形は玉をくわえています。飴玉を舐めているようです。神楽殿の段では玉乗り型と蹲踞型二組、そして社殿前では嘉永3年(1850)年奉納の蹲踞型の狛犬がいました。この狛犬は首を曲げて参拝者の方を向き威圧するよりも、いらっしゃいませと歓迎しているようです。
井永八幡神社狛犬阿形(石段最下段玉乗り 新しい)

石段中段 (構え型 玉が口の中にある 飴玉を舐めているよう)

神楽殿が建っている段に二組の狛犬(蹲踞と玉乗り型)

社殿前の狛犬(蹲踞型 首を曲げて参拝者を歓迎している) 嘉永3年(1850年)奉納

2015年5月27日水曜日

府中市を訪ねて(2) 備後神楽

 弓神楽鑑賞の後、集会所に場所をかえて備後神楽を鑑賞しました。私たちのためにわざわざ矢野神楽団の方が演じてくださいました。衣装は石見神楽に比べると簡素です。舞い方も緩やかで余り大きな動きはありません。楽は太鼓と鉦だけで神楽笛はありません。舞い手は全員が面をつけています。オロチに飲ませて酔わせるための酒造りがユーモラスに演じられます。そしていよいよオロチが現れスサノオノミコトと戦います。オロチは火をふいたりしてスサノオノミコトに抵抗しますがついに敗れます。特別に時間を短縮しての神楽でしたが、素晴らしい舞でした。弓神楽も神楽も後継者の問題があります。このような素晴らしい伝統芸能が長く引き継がれてほしいものです。
備後神楽(ヤマタノオロチ)

酒造りがユーモラスに演じられる

大蛇が二匹現れる

火をふくオロチ

スサノオノミコトとオロチとの戦い

2015年5月26日火曜日

府中市を訪ねて(1) 井永八幡神社の弓神楽

 府中市の井永八幡宮で弓神楽を公開していただけるというので、広島民俗学会研究会に参加しました。安芸高田市や北広島町の石見神楽を子どものころから見て育ったので、全く違う神楽を是非見てみたかったのです。井永八幡神社では地域の方が法被を着て待っていてくださりきめ細かく世話をしてくださり感激しました。祭場は神社の神楽殿にしつらえられていました。揺輪に弓が弦を上にして結び付けて置いてあります。注連縄が周りに巡らされ、それに千道が張られシデや巧妙な切り飾りが吊るされています。弓神楽が始まりました。主座が神座について弓を打ちながら祭文を誦みます。それに合わせて後ろの脇座が笛と銅拍子を奏します。ビン、ビンという音が体の芯まで響きます。長い祭文をよく覚えられたものだと感心します。最後に揺輪から弓を外し、弓で上に張られた千道を切り、弓矢を2度放って祭場から邪霊を払い弓神楽は終わりました。石見神楽のように動きが激しいものではありませんでしたが、五穀豊穣と家内安全を神に祈るという願いは同じです。とても印象的な神楽でした。
井永八幡神社参道

井永八幡神社社殿

 神楽殿にしつらえられた弓神楽の祭場(揺輪に弓を結び付けて置いてある。上に千道が張られシデや切り飾りが吊るされている)

揺輪の上に置いた弓の弦を打ちながら、祭文を唱え土公神を祭り、五穀豊穣と家内安全を祈る

弓を揺輪からはずし、弓で千道を切り落とし、神歌と共に矢を2度放って祭場から邪霊を払う

2015年5月25日月曜日

広島駅南口B・Cブロック再開発工事NOW(17)

 5月24日広島駅に集合して日帰り旅行をしました。朝早く広島駅に着いたので広島駅南口再開発工事中の写真を撮りました。夕方まだ日がある内に駅に帰ってきたので、南口B・Cブロック再開発工事の写真を撮りました。丁度カープ対ヤクルトの試合が終わった時間でたくさんの人が球場から駅に向かって帰途についていました。試合の結果はファンの後姿を見れば聞かなくても分かります。ビル建設中のクレーンまでもしょげているように見えます。帰ってニュースを見てやっぱりと思いました。カープがんばれ!
広島駅南口Bブロック再開発工事(5月24日朝)

広島駅南口Bブロック再開発工事(5月24日夕)

広島駅南口Cブロック再開発工事(5月24日夕)

 駅南口B・Cブロック再開発工事脇の道を通って帰途につくカープファンなんとなく元気がない(5月24日夕)

2015年5月24日日曜日

萩往還を歩く 明木市~七賢堂展望台 佐々並市(8)

 佐々並市を散策しました。佐々並市は国選定重要伝統的建造物群保存地区、萩市佐々並市伝統的建造物群保存地区に指定されています。茅葺屋根はトタンが被せてありますが、かつての宿駅として栄えた集落の雰囲気は残っています。集落の端に佐々並市頭一里塚跡がありました。御茶屋の跡は小学校となり、現在は地区の公会堂となっています。各家ではその家の由来などが書かれた掲示してありました。マンホールのデザインは萩往還の石畳です。大きな商家が並ぶ通りもありました。
佐々並市の往還沿いの家

佐々並市頭一里塚跡

御茶屋跡は小学校となり、現在は集会所となっている

佐々並市の各家ではその家の由来などを書いた説明板が掲げられている

マンホールのデザインは萩往還に石畳

大きな商家が並ぶ通り

2015年5月23日土曜日

萩往還を歩く 明木市~七賢堂展望台 佐々並市(7)

 釿切集落に元は茅葺だった家があります。最近は茅の葺き替えは簡単にはできないので、最近ではトタンなどを被せているものが多くなっていますが、この家は瓦のようなものが葺いてあります。その家の近くが道の分岐点となっています。案内表示に従って進むと猪や鹿を防ぐ柵があり、出入り口が閉まっています。通り抜けるには、扉を開けで通ります。通り抜けたら必ず閉めておかなければなりません。この地区も獣害は悩みの種のようです。しばらく坂道を登ると七賢堂展望台に着きました。展望台からは周りの山々や集落がよく見えました。条件が良ければ海まで見えるようです。今回の萩往還ウォークはここで終わり。途中の行程は省略しバスで佐々並市に向かいます。
釿切集落の民家(元は茅葺の家も瓦状のものがかぶせられている)

萩往還と佐々並小松ヶ谷との分岐点

猪や鹿を防ぐ柵を開けて通る。通ったら必ず閉めておく。

七賢堂展望台に到着

展望台からの眺め

2015年5月22日金曜日

萩往還を歩く 明木市~七賢堂展望台 佐々並市(6)

 休憩所で少し休み再び石畳を登って行きます。そしてついに十合目に着きました。標高346mです。そこには貴布祢神社のお札が供えてありました。どのような願いを込めたものでしょうか。峠を下りると釿切集落です。明治19年建立の庚申塔がありました。下の茶屋、御籠建て場跡、上の茶屋の前を通り、しばらく行くと中の峠下一里塚跡がありました。何の表示もしてないのでうっかりしていると見落としそうです。
更に石畳を登って行きます

ついに一升谷十合目に着いた(346m)

そこには貴布祢神社のお札が供えてあった

釿切集落まで下りると庚申塔があった(明治19年建立)

中の峠下一里塚

2015年5月21日木曜日

萩往還を歩く 明木市~七賢堂展望台 佐々並市(5)

 五合目、六合目と進むにつれて、坂道がきつくなってきます。道の脇を流れる渓流の気持ちの良い音を聞きながら進むと、途中彦六の道分岐点がありました。彦六は萩城築城の時石工として抜群の働きをした褒美として、自分の利益ではなく、郷人の口屋銭(通行税)を免除してもらうことを願い聞きいれられたため、以来郷人が永く恩恵を受けたということです。七合目、八合目と進むと根の迫の石橋がありました。もとは板橋だったようですが、幕末に石橋となったようです。ここから更に急坂になるので幅1mの五文蔵の石畳が続きます。石畳をしばらく歩き休憩所に着きました。ここでトイレ休憩です。
五合目(標高165m)

萩往還の脇を渓流が流れる

 彦六の道分岐点(萩城築城の時石工として抜群の働きをしたため、褒美として郷人の口屋銭の免除をしてもらい、以来明木の人々が大変恩恵を受けたという。)

根の迫の石橋を渡って五文蔵の石畳に進む

休憩所でトイレ休憩