2014年8月31日日曜日

広島駅南口Bブロック再開発工事NOW(14)

 工事が進む広島駅南口Bブロック再開発工事の様子です。東側のビルがどんどん高くなっています。西隣のビルも鉄骨が組まれ始めました。
工事が進む広島駅南口Bブロック(8月30日)

西側のビルの鉄骨も組まれ始めました。

駅前大橋から見るBブロック(8月29日)

2014年8月30日土曜日

広島駅南口Cブロック再開発工事NOW(4)

 広島駅南口Cブロックの完成予想図が街角の壁面広告にありました。Cブロックの周りを歩いているとくい打ち工事とは違うやぐらがたっていました。工事フェンスの掲示を見ると、なんと温泉掘削工事でした。温泉が出たら温泉付きマンションになるのでしょうか。
工事がすすむ広島駅南口Cブロック

広島駅南口(8月30日現在)

広島駅南口Cブロック完成予想図

広島駅南口Cブロック温泉掘削工事

2014年8月29日金曜日

西蓮寺の被爆地蔵尊

 原爆ドームの東側の道を挟んで向かいにある西蓮寺の前に被爆地蔵尊があることに気がつきました。今まで何度も通ったことがあるところですが気がつきませんでした。この地蔵尊はほぼ真上から原爆の熱線を浴びたため、台座の側面や地蔵尊の陰になっていたところは滑らかですが他はザラザラです。ほとんどのお地蔵様の顔は穏やかに微笑んでおられるような表情ですが、このお地蔵様は何となく怒っているような、悲しんでいるような表情です。
西蓮寺被爆地蔵尊

台座の熱線を浴びたところはザラザラになっている。

怒っているような悲しんでいるような表情

毎日原爆ドームを見つめている。

2014年8月28日木曜日

仁摩サンドミュージアム

 最後に立ち寄ったのは仁摩サンドミュージアムです。「砂しかない」から「砂がある」という発想から生まれた施設だということを聞いたことがあります。この逆転の発想がすばらしいと思います。琴ヶ浜の砂は粒が大きすぎて無理なため、他の地域の砂ですが、全長5、2m直径1mの大きな砂時計が四角錐の天井からぶらさがっています。1tの砂がコンピュータで制御され正確に一年の時を刻んでいるそうです。砂でガラスもできます。きれいなガラス製品の展示や光る砂・石展も行われており楽しめました。
仁摩サンドミュージアム

一年計砂時計(コンピュータで制御され、正確に時を刻んでいる)

光る砂・石展も行われていた。

2014年8月27日水曜日

鞆ヶ浦 琴ヶ浜の鳴り砂

 初期の銀の積み出し港であった鞆ヶ浦に行きました。東側には琴ヶ浜があります。雨が降ったので鳴らないかなと思いましたが、歩いてみるとキュキュといういい音がしました。きれいな海でないと鳴らないそうですので、いつまでもいい音を聴かせてくれる浜であってほしいものです。浜に行く途中ヒルガオやクサギの花で蜜を吸うモンキアゲハを見ることができました。
鞆ヶ浦(かつての銀の積み出し港)

琴ヶ浜の鳴り砂(浜を歩くと砂がキュキュと鳴る)

ヒルガオ

クサギの花の蜜を吸うモンキアゲハ

2014年8月26日火曜日

石見銀山を訪ねて(3) 佐毘売山神社

 龍源寺間歩の近くに佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)があります。16世紀中頃に創建された鉱山の守護神で精錬の神様の「金山彦命」を祀っているそうです。石段を上っていくと立派な社殿、その前に苔むした狛犬、亀の手水鉢がありました。
佐毘売山神社(鉱山の守護神)

佐毘売山神社社殿
狛犬阿形

狛犬吽形

亀の手水鉢

2014年8月25日月曜日

石見銀山を訪ねて(2)

 石見銀山には600余りの間歩(まぶ)があります。間歩とは銀鉱石を採掘するための坑道です。その中で公開されている龍源寺間歩の内部を歩きました。入口周辺にはハクサンハタザオやヘビノネゴザという植物が生えています。この植物は貴金属を好む性質があり、金銀の鉱脈発見の手がかりとなるのだそうです。内部に入るとひんやりとしていました。狭い坑道の中での作業は大変だったことだろうと思いました。外に出て銀鉱石を見せていただきましたが、大きな石にわずかに黒い線が見えました。それが、銀だそうです。それでも石見銀山の銀鉱石は銀の含有率が高かったのだそうです。
公開されている龍源寺間歩(江戸時代中期、代官所直営の間歩として操業されていた。)

ハクサンハタザオとヘビノネゴザ(貴金属を好む性質があり金銀鉱脈発見の手がかりとなる植物)

龍源寺間歩内部(銀の鉱脈が見られる)

銀の鉱石(わずかに黒い線が見える所が銀の鉱石)

2014年8月24日日曜日

石見銀山遺跡を訪ねて

 朝から曇り時々雨も降るというはっきりしない天気でしたが、石見銀山遺跡に山の仲間と行きました。夏なので暑い山は避け、涼しい場所を歩こうという企画です。石見銀山には何度か訪ねたことがありますが、今回は現地ガイドさんに説明していただきながら歩いたので新しく知ったことがたくさんありました。駐車場から遊歩道をお寺や墓所、製錬所跡などを巡りながら公開されている龍源寺間歩まで歩きました。
妙正寺(石見銀山にはたくさん寺がある。寺の境内地と背後の丘陵斜面にはたくさんの墓がある。(確認されているのは559基)鉱山の仕事は厳しく平均30歳位までしか生きることができなかったという。)

大久保石見守墓所(銀山を発展させ徳川幕府の財政を潤した。周りの木が倒れ石碑なども倒れたままになっており近づけない。)

清水谷製錬所跡(明治28年に完成。最新式の技術を投入して明治期の銀生産を担った。)

最盛期には向こうの山の頂上一帯に家が建っていたという。

2014年8月23日土曜日

広島城の堀の水鳥

 朝、広島城の堀端を歩いていると、お城の石垣にアオサギとウが止まっています。アオサギは休んでいるのか、堀の中の魚を狙っているのか、ジッと堀の水面を見ています。ウは水からあがって、久しぶりに顔を出した太陽に向かって羽を広げ、日向ぼっこをしているようです。少し歩いて裏御門の方にいくとカモが数羽泳いでいます。近づいてみるとカルガモのようです。
広島城の石垣に止まったアオサギとウ

石垣の上から堀の中の魚をねらっているのか

ウは久しぶりに日が差したので日向ぼっこをしている

カモが数羽泳いでいる

近づいてみるとカルガモのようだ

2014年8月22日金曜日

広島駅北口二葉の里再開発工事NOW(4)

 8月19日夕方、広島駅北口二葉の里再開発工事の様子をみてみました。鉄道病院や高精度放射線治療センター(仮称)などの工事が進んでいました。
新築される鉄道病院完成予想図

鉄道病院新築工事現場

高精度放射線治療センター(仮称)など完成予想図

高精度放射線治療センター(仮称)など工事現場

2014年8月21日木曜日

安佐南区 武田山の麓を歩く(3) 新羅神社

 一昨夜の雷雨のためかインターネットの調子が悪くなり、昨日はブログの更新ができませんでした。広島経済大学の近くに新羅(しんら)神社があります。武田氏の先祖の新羅三郎義光を祀った神社で正安2年(1300年)に武田信宗が建立しました。武田氏滅亡後は地域の人々により氏神として維持されているようです。急な石段を踏み外さないよう用心して下りていると石段の最下段に盃状穴があることに気が付きました。どのような願いを込めて掘られたのでしょうか。


新羅神社(武田氏の先祖源新羅三郎義光が祀られている。鎌倉時代後期1300年に武田信宗により建立された。)

神木 夫婦ひのき

新羅神社の急な石段

石段最下段に盃状穴が見られる。どのような願いを込めて掘られたのだろうか。

2014年8月19日火曜日

安佐南区 武田山の麓を歩く(2)武田一族の墓

 大年神社から武田山に向かって坂道を上っていくと武田一族の墓といわれている石が積み上げてある所があります。よく見ると五輪塔の一部のような石もあります。地域の人が管理されているようで、灯籠も立ててありました。守護を務めた名家でも戦に敗れるということはこういうことなのかと思い知らされる思いでした。この墓に葬られた武田一族の人々は広島の移り変わりをどんな思いで見ていることでしょう。
武田一族の墓(伝承)

かつて武田氏が支配した広島の地の移り変わりをどんな思いで見ているだろうか。

2014年8月18日月曜日

安佐南区 武田山の麓を歩く(1) 大年神社・歓喜寺

 ずっと降り続いていた雨も上がったので、カメラを持って安佐南区の武田山の麓を少し歩いてみました。武田山には銀山城跡があります。銀山城は、鎌倉時代の終わりごろ、安芸の国の守護であった武田信宗が築いたといわれる山城です。難攻不落の城でしたが毛利元就の策略によって落城し、後毛利元就の居城となっていました。そのため麓には武田氏ゆかりの史跡がたくさんあります。まず訪ねたのは大年神社です。勧請年は不明ですがかつてこの地に銀山城の出城があり、米庫を設けていたところだったことから大年神を祭ったと伝えられています。米庫は銀山城落城の際焼け落ちたようです。明治の始めころまで、土中から焼けた米が出ていたそうです。また同じ境内に歓喜寺もあります。この寺は現在無住となり地域の人々によって守られているようです。
大年神社灯籠 弘化3年(1846年)奉納

大年神社社殿(かつてこの地に銀山城の出城があったという)

同じ境内にある歓喜寺(無住となっており地域の人々によって守られている)

2014年8月17日日曜日

尾道市 持光寺(2) 国東塔・道祖神

 持光寺に「おや、尾道のお寺になぜ?」と思う石造物がありました。国東塔と道祖神です。後日住職さんに電話で尋ねてみたところ、どちらも古くからお寺にあったものではなく信者が奉納されたものだということでした。
国東塔(室町時代のもの)

道祖神