2014年7月31日木曜日

尾道を訪ねて 鼓岩・中村憲吉の旧居

 尾道市立美術館で東日本大震災の 記憶展を見て、今回は千光寺には行かず坂を下りました。途中鼓岩がありました。大阪城築城の時石垣材として切り出そうとした矢穴が見られます。少し下ると歌人中村憲吉の旧居がありました。中村憲吉は昭和9年46歳でこの地で亡くなったそうです。
鼓岩(石でたたくとポンポンと音がする。矢穴は大阪城の石垣のために切り出そうとした跡だという)

歌人中村憲吉の旧居

落ち着いた雰囲気の部屋

土地が狭いので家が石垣上にせり出している。

2014年7月30日水曜日

尾道を訪ねて 尾道城

 尾道ラーメンを食べて元気が出たので、坂道を上って尾道市美術館に行くことにしました。汗をふきふき上っている途中に城風の建物があります。JRに乗っていても山を見上げるとよく見えて気になる建物です。これは全国城の博物館尾道城といって観光目的で1964年に建てられ1990年代に「廃城」になった建物だそうです。近くに行ってみると蔦がびっしり絡まり、すっかり荒れ果てていてとても残念な状態になっています。何とかならないものでしょうか。
尾道城の石垣には蔦がびっしり絡まっている。

入口には「全国城の博物館 尾道城」と書いてある。

何とかならないものか

2014年7月29日火曜日

尾道を訪ねて 本通り

 願い事を書いた七夕かざりがたくさん吊るしてある本通りを歩いていると、おじいさんおばあさんの微笑ましいぬいぐるみ、チョークで小黒板にかえるとカタツムリのかわいい絵が描いてあるのが目にとまりました。
尾道市本通りの七夕かざり

店先にある微笑ましい人形

黒板のチョーク絵がかわいい

2014年7月28日月曜日

尾道を訪ねて 路地の井戸

 久しぶりに尾道に行ってみました。暑いので今回は路地巡りを中心に歩いてみました。小さな路地に入ると井戸がありその上にたくさんの地蔵様が祀られています。他の井戸でも同様にたくさんの地蔵が祀られていました。首だけになった地蔵様にも、それぞれ毛糸ぼうしをかぶせ大切にされていました。今回は聞くことができませんでしたが、地域の人にいわれなどを聞いてみようと思います。坂道を上がると二階井戸もありました。坂の上の住宅は一段と水の確保に工夫が必要だったようです。
井戸の上に地蔵様が祀られている。

井戸は現在も使われているようだ。

たくさんの地蔵様が祀られている。首だけのも大切にされている。
二階井戸の中を覗く


二階井戸(坂の上では更に水の確保が大変であった。)

2014年7月27日日曜日

竜王公園から見た花火

竜王公園から見た花火です。花火を撮るのはなかなかタイミングが難しいです。

花火1

花火2

花火3

花火4

2014年7月26日土曜日

竜王公園夏祭り

 竜王公園夏祭りに行きました。広島みなと夢花火を竜王公園から見よう。花火を待つ時間に音楽の演奏やダンスを見たりして楽しもうという祭りです。祭りは6時に吹奏楽団の演奏から始まりました。続いてオカリナの演奏、ギターの弾き語り、ベリーダンスと続くうちにあたりは暗くなり、いよいよ8時から花火の打ち上げが始まりました。遠くに見える花火を歓声を上げながら見ます。花火が上がって随分後に花火の音が聞こえるのもまた趣があり楽しめました。
吹奏楽団の演奏

オカリナの演奏

ギター弾き語り

ベリーダンス

広島みなと夢花火を歓声を上げながら見る

2014年7月25日金曜日

角島で出逢った花

 角島にはハマユウを撮りに行ったのですが、珍しいソテツの花やハマゴウの花を見ることができました。また渋滞のお蔭で角島大橋の上で止まってしまったバスの中から猛スピードで海上を走る漁船を写すことができました。
ソテツの花

ハマゴウ

角島大橋から見た漁船

2014年7月24日木曜日

下関市角島夢崎のハマユウ

 通浦のくじら祭りの撮影の次は下関市豊北町角島の夢崎に群生しているハマユウの撮影に向かいました。平素は30分位で着くはずでしたが、丁度梅雨が明けたばかりの日曜日、近くの海水浴場に向かう車で大渋滞。2時間近くかかりました。夢崎のハマユウの自然群落は下関市の天然記念物に指定されています。今が丁度見頃です。いろいろな角度からカメラを向けてみましたが、なかなかうまく撮れません。
角島夢崎ハマユウの自然群落(下関市天然記念物)

夢崎あたりは良い漁場であると同時に沿岸航路の難所。角島灯台が海の安全を守っている。

ハマユウは今が見頃
龍神様の小さな祠の前で咲くハマユウ

石の鳥居の周りに石が積まれている。強い風や波から龍神様を守っているのか。

2014年7月23日水曜日

青海島通浦 住吉神社

 通浦の住吉神社に行ってみました。住吉神社は航海安全や漁業繁栄等の神様です。由緒書によると、宝永4年(1707年)西の入り口の橘泫に社殿が漂って来て止まったのを拾い上げて祀ったのが始まりということですが立派な社殿です。この神社の狛犬はあまり大きくはありませんが、とても彫のいい狛犬でした。また境内には高さ1、87m、周囲4、6m、重量3t500もある大きな珪化木がありました。 昭和初期に島根県沖の海中から発見され、地元の有志によって奉納されたものだそうです。
通浦住吉神社社殿

住吉神社狛犬(吽形)

狛犬(阿形)

珪化木(島根県沖の海中から発見されたもの)

2014年7月22日火曜日

山口県長門市 通浦のくじら祭り(3)

 仕留めた鯨を曳いて港に帰ります。漁師が掛け声とともに陸に引き上げ、母鯨の中から胎児を取り出し路上に仮設された鯨墓の前に置きます。その後鯨漁をした赤ふんどしの若者と鯨唄保存会の人たちによる鯨唄により鯨の供養が行われくじら祭りは終わりました。暑い中でしたが昔の鯨漁の様子をみることができました。鯨は肉を食べることはもちろん、油、骨、皮、髭まで捨てるところはなく、一頭捕れると浦は大変潤ったようです。しかし、胎児まで殺してしまったことを不憫に感じ供養するなど、鯨にも情けを持っていたことに感銘を受けました。
仕留めた鯨を港に曳航する

鯨を陸に引き上げる




母鯨から胎児を取り出し運ぶ

道路に仮設した鯨墓の前に胎児を置き鯨唄を唄って供養する

2014年7月21日月曜日

山口県長門市通浦のくじら祭り(2)

 くじら祭りは昔の鯨漁の様子を再現します。漁師の乗った船は沖で泳いでいる鯨に近づき、船べりをたたいたり、ほら貝を吹いたりして脅し、波の静かな湾内に追い込みます。湾内に入った鯨を取り囲み動きを止めた鯨の背に漁師が飛び乗りモリを突き立て止めをさします。
沖で泳ぐ鯨を船べりを叩いたり、ほら貝を吹いたりして脅し、波の静かな湾内に追い込む。

湾内に追い込まれた鯨は漁師の船に取り囲まれ動けなくなる。

その鯨に飛び乗りモリを突き立てとどめをさす。

2014年7月20日日曜日

山口県長門市通浦のくじら祭り

 山口県長門市青海島の通浦で行われるくじら祭りの写真を撮りに行きました。通浦はかつて鯨漁が盛んに行われていたところです。1692年漁師たちは捕獲した鯨の回向のため鯨墓を建立しました。墓の背後には鯨の胎児数体が葬られているそうです。12時煙火の合図とともに小学生が人々に鯨が来たことを知らせると、鯨の捕獲が始まりました。赤ふんどしの若者達が乗った船が港を出て行きます。
かつてはこの湾で鯨漁が行われた

鯨墓(人々は捕獲した鯨の回向のため墓を作り祀った)

狼煙があがり、子ども達によって鯨が来たことが伝えられると、赤ふんどしの若者が鯨を捕獲するため船を出す。

2014年7月19日土曜日

ベトナムを訪ねて ホーチミン市

 ベトナム旅行最後の日となりました。ホーチミン市の市街地を少し散策しました。公園でアオザイの女学生に会いました。声を掛けると喜んでポーズをとってくれました。観光の仕事の実習のようです。市場に行ってみると、果物、肉、お菓子、衣類まであらゆるものを売っていました。人々はバイクで買い物にきています。車はまだまだ高くベトナムの人々の足はもっぱらバイクです。中にはバイクに乗ったままで買い物をしている人もいました。ビル街を歩いていると狛犬(唐獅子)がありました。親子唐獅子です。銀行の玄関でお金を守っていました。私が学生のころ、ベトナム戦争があり、心を痛めたものですが、今回訪ねてみて、私が会った人々は明るく力強くくらしておられるように見えました。ベトナム戦争の痛手はまだまだ残っているものの、道路や建物の建設工事もどんどん進み力強く発展しているベトナムの姿を見ることができうれしく思いました。今回の旅行はベトナム南部の漁村が中心でしたが、機会があれば北部や山間部、そして開発が進む都市もゆっくり歩いてみたいと思いました。
アオザイの学生(観光にかかわる実習らしい)

バイクはベトナムの人々の足 (どんな狭いところもバイクが入る)

市場では野菜や果物などなんでもそろう


ここにもあった親子狛犬(唐獅子)銀行の玄関でお金を守っている。

近代的な高層ビルも建つホーチミン市街地