2014年5月31日土曜日

奥出雲たたらの里を訪ねて(4) 奥出雲たたらと刀剣館

 奥出雲たたらと刀剣館はたたら製鉄の歴史、操業の様子、たたら製鉄で得られた玉鋼で打たれた刀剣の展示などがしてあり、たたら製鉄について詳しく知ることができるようになっていました。特に炉や地下構造の断面が再現されており、たたらの構造がよく分かりました。
奥出雲たたらと刀剣館のヤマタノオロチのモニュメント

奥出雲たたらと刀剣館内部の展示(たたら製鉄炉の断面)

たたら炉の地下構造の断面が再現されている。

たたら製鉄によって得られた玉鋼で打たれた太刀や刀が展示してある。

玄関前には川砂鉄採集用の川船が展示してある。

2014年5月30日金曜日

奥出雲たたらの里を訪ねて(3) 雲州そろばん

 JR出雲横田駅の隣に雲州そろばん伝統産業会館があります。そこで雲州そろばんについての説明を受けました。この地域ではたたらの帳場などで芸州そろばんを使っていたが壊れたものを修理して使っていたことから、この地域でも作るようになったのが始まりのようです。コンピュータの時代になってもそろばんは使われています。需要があるかぎり作られるそうです。次に奥出雲たたらと刀剣館に行きました。ヤマタノオロチの斬新なモニュメントが迎えてくれました。ヤマタノオロチは神話の山 船通山に向かってそびえていました。
これは何でしょう。れんこんではありません。そろばんの玉をくり抜いたものです。

雲州そろばん伝統産業会館内の展示(そろばんの歴史や製法などが分かりやすく展示されている。)

奥出雲たたらと刀剣館から記紀神話の山 船通山を望む

2014年5月29日木曜日

奥出雲たたらの里を訪ねて(2)

 バスは何やら神社風の建物の前の駐車場に着きました。大きく立派な注連縄も掛けられています。よくみるとJR出雲横田駅でした。トイレまで校倉造風に凝っています。この駅から列車に乗ると神の国に行けそうです。
これは何神社でしょう?

JR出雲横田駅でした。立派な注連縄も掛けられています。

トイレも校倉造風

2014年5月28日水曜日

奥出雲たたらの里を訪ねて(1) 櫻井家住宅

 広島民俗学会研究会で奥出雲を訪ねました。最初に訪ねたのはたたら製鉄で栄えた櫻井家です。櫻井家は大坂夏の陣で活躍したことで有名な塙団右衛門の末裔で、一時可部に居たこともあり可部屋という屋号です。可部屋集成館で櫻井家のご当主から説明を聞いた後、邸内を見学しました。櫻井家産の鉄は良質で国友の鉄砲づくりに使われていたようです。7000㎡を越える広大な敷地に元文2年(1737年)から造営されている主屋を始め付属屋、土蔵群が立ち並んでいました。松平不昧公が名付けられたという「岩浪」という庭園には鉄穴流しの技術が使われているという滝が流れ落ちていました。屋敷脇の内谷川沿いには紅葉が植えられており、清らかなせせらぎに新緑が映えていました。
櫻井家住宅土蔵

櫻井家住宅主屋入口

櫻井家庭園(松平不昧公によって「岩浪」と名付けられた庭園)流れ落ちる滝には鉄穴流しの技術が使われている。

櫻井家のすぐ脇を流れる内谷川(紅葉の新緑が美しい)

2014年5月27日火曜日

広島駅南口Bブロック再開発工事NOW(13)

 5月25日早朝、広島駅南口の駅前大橋を通りました。橋の歩道にはきれいな花が咲いていました。橋からBブロックの再開発工事の様子を見ました。ビルがどんどん高くなっています。
広島駅南口の駅前大橋歩道にいはきれいな花が植えられている。

駅前大橋から広島駅南口Bブロック再開発工事現場を見る。

2014年5月26日月曜日

広島城の石垣(4) 石垣をみる楽しみ

 城の石垣は築かれた時期によって積み方や石を割る時にできる矢穴の大きさが変化したりしているので、築かれた時期や修理した時期などを推定しながら見ていくのが楽しみの一つです。また城の石垣には、よく見ると隅石の積み方が算木積になっていたり水抜きの為の樋門も見られたりするなど、「攻めにくく崩れない、さらに美しくする」ための様々な工夫が見られます。裏門跡に行くと石垣の間からタイトゴメと思われる野草がきれいな黄色い花を咲かせていました。
広島城天守台の隅石(一応算木積になっているが、まだ完璧な形になっていない。)

樋門(天守閣石垣西側)



裏御門跡の石垣の隙間で咲く野草(タイトゴメ?)
中御門跡の石垣の石に見られる矢穴(築造された時期によって大きさが異なる)

2014年5月25日日曜日

広島城の石垣(3) 福島正則が破却した石垣

 広島城の北東にまわってみると福島正則が幕府への言いわけで破却したと言われる石垣の跡がありました。横にまわってみると石に何か印がついているものがいくつかみられます。近寄ってみるといろいろな模様の刻印です。何の目的で付けたのでしょうか。
福島正則の石垣破却の跡(広島城北東)

福島正則が破却した石垣の横にまわってみると

何か印がある石がいくつかある!

近寄ってみるとこんな刻印などいろいろな刻印が見られる。何の目的で付けたのか。

2014年5月24日土曜日

広島城の石垣(2) 被爆石垣

 広島城の天守閣を始め木造の建物は焼けたり、倒壊したりしてしまいましたが、表御門跡や中御門跡の石垣も原爆の影響で焼けて赤く変色しています。
表御門跡の内側の石垣(原爆で赤く焼けている)

中御門跡の石垣(毛利時代の石垣 原爆で赤く焼けている。)

中御門跡の石垣(鏡石 広島城で一番大きい石)

2014年5月23日金曜日

広島城の石垣(1)

 広島城の石垣をじっくり見てみました。新緑に囲まれて建つ広島城の天守閣は残念ながら原爆により倒壊してしまい現在のものは昭和33年に鉄筋コンクリートで再建されたものですが、内堀の水面に美しく映えていました。まだ木の香りがする御門橋を渡って表御門をくぐります。表御門・多聞櫓・平櫓。太鼓櫓は平成元年から平成6年にかけて再建されました。中御門跡の石垣はほとんど加工しない石が積まれています。野面積というのだそうです。石垣の隙間を覗いてみると牡蠣殻が付いていました。海岸にあった石を運んできてそのまま積んだのでしょう。
広島城天守閣(昭和33年再建)

二の丸の表御門(平成6年再建)

中御門跡石垣(「野面積」 ほとんど加工しない石を積み上げている)

中御門跡の石垣の隙間を覗くと牡蠣殻が見える。(海岸にあった石をそのまま使ったことが分かる)

2014年5月22日木曜日

益田市を訪ねて(5) 益田氏ゆかりの史跡

 益田氏ゆかりの史跡を訪ねました。染羽天石勝神社は神亀2年(725年)天石勝命を祭神として創建されました。その後中世に入って、益田氏によって庇護され発展しました。1581年に火災で焼失しましたが、益田藤兼・元祥親子により再建されたもののようです。三間社流造で国指定重要文化財に指定されています。 三宅御土居跡は益田氏の平地居館で、南北朝時代に11代兼見によって築造されたといわれています。まだ発掘調査が行われたばかりですが、今後史跡として整備されるようです。医光寺総門は七尾城の大手門を移築したものといわれています。城門らしく無骨で力強い建物です。
染羽天石勝神社本殿(国指定重要文化財) 

三宅御土居跡(元あった寺や墓地を移動し、史跡保存することになっている)

医光寺総門(県指定文化財)七尾城大手門を移築したもの

城門らしく無骨で力強い

2014年5月21日水曜日

益田市を訪ねて(4) 七尾城跡

 益田氏の居城七尾城跡に登りました。住吉神社の長い石段を上り、神社から土道になります。途中馬釣井跡や厩の段、二の段など城の施設跡が残されていました。本丸からは益田の街が良く見えました。
七尾城跡へは住吉神社の参道の長い石段を上る。

城跡に残る井戸

本丸跡(あまり大きな建物は無かったようだ)

本丸跡から益田の街を望む

七尾城説明板(山全体が城郭化されていたようだ)

2014年5月20日火曜日

益田市を訪ねて(3) 中須東原遺跡

 中須東原遺跡に行きました。中世の湊町の跡です。一面の草原でしたが市教委の方の説明によると、この地から大規模な船着場や鍛冶工房跡、掘立柱建物跡に施設やタイ陶器・高麗青磁なども出土しているそうです。中世の日本海交易がアジアや国内各地とつながって活発に行われていたことがうかがえます。この地を治めていた益田氏は日本海交易を積極的に行うことにより、利益を得ていたようです。益田氏は毛利元就との和睦の際朝鮮の虎の皮や蝦夷地の昆布・数の子を贈っているそうです。

土砂の流入や海面の後退により、湊の位置も時代によって移動している。

この地から大規模な船着場や鍛冶工房跡などの施設やタイ陶器、高麗陶器など外国からの物品も出土している。

説明板があり、この地がかつて湊町であったことがわかる。区画整理事業を進める前に発掘調査したところ発見された。保存方法などは、今後検討するらしい。

2014年5月19日月曜日

益田市を訪ねて(2) 雪舟庭園

 日本の水墨画を大成した雪舟(1420~1506)は益田市と深い関わりのある禅僧です。幼少の頃、絵を描くことを禁じられたため、涙でネズミを描いたことで有名ですね。
 亡くなった場所は諸説ありますが益田市の東光寺(大喜庵)説が有力です。東光寺には雪舟の墓や灰塚があります。医光寺や萬福寺には雪舟が作ったといわれる庭園が残されています。
東光寺(大喜庵)にある雪舟の像

医光寺の雪舟庭園 「鶴を形どった池に亀島を浮かべている。」(国指定史跡及び名勝)

萬福寺の雪舟庭園「明と暗が巧みに使い分けられている。池は心の字を表しているという。」(国指定史跡及び名勝)

2014年5月18日日曜日

益田市を訪ねて(1) 医光寺の昇鯉

 益田市にひろしま日本史を学ぶ会の企画で研修旅行に行きました。益田市は中世の史跡が多い街です。雪舟が居たことがあり、雪舟庭園が二か所もあります。その一つ医光寺の雪舟庭園を訪ねたところ、ここにも昇鯉が!三日連続で出逢いました。こんどはチェンソー彫刻です。とてもチェンソーで彫ったとは思えない細かい見事な彫りです。
益田市の医光寺玄関に置いてあった昇鯉(チェンソー彫刻)

とてもチェンソーで彫ったとは思えない見事な彫りの「鯉滝上り」(林 隆雄作)

2014年5月17日土曜日

広島護国神社の昇鯉の像・双鯉の像

 広島護国神社に行ってみると、ここにも立派な昇鯉の像が設置されていました。撫でると難関突破・目標達成・開運出世の願いが叶うそうです。広島カープの優勝を願ってしっかり撫でさせてもらいました。反対側には二匹の鯉が泳いでいる像がありました。こちらは家内安全・夫婦円満・恋愛成就の御利益があるそうです。
昇鯉の像(難関突破・目標達成・開運出世)
 
双鯉の像(家内安全・夫婦円満・恋愛成就)

広島護国神社