2017年3月26日日曜日

旧太田川沿いを歩く

 3月23日、横川から紙屋町まで旧太田川沿いを歩きました。ソメイヨシノはつぼみが少しふくらんでいます。シダレヤナギも花のつぼみがふくらんでいます。相生橋東詰めのハクモクレンの花が咲いていました。


旧太田川沿いのソメイヨシノ

つぼみがふくらんでいた

シダレヤナギ

シダレヤナギの花のつぼみもふくらんでいた

相生橋東詰のハクモクレンの花が咲いていた

ハクモクレンの花

2017年3月25日土曜日

JR三江線に乗って(9)口羽駅~式敷駅

 琵琶甲城跡から下山し口羽駅に向かいます。3時17分発三次行に間に合いそうです。三次行の列車は、三次方面から来た列車が口羽駅で折り返し運転です。列車内はガラガラです。トンネルを抜けて、江の川沿いの線路を列車はゆっくり走ります。式敷駅に3時43分に着きました。のんびりゆっくり、たくさんの親切をいただいた小さないい旅でした。今度は三江線に乗って江津まで行ってみたくなりました。
琵琶甲城跡から下りて口羽駅へ(正面に琵琶甲城が見える)



3時17分発の三次行に乗り込む

列車内

トンネルを抜ける

江の川沿いの線路をゆっくり走る

式敷駅に3時43分着

2017年3月24日金曜日

JR三江線に乗って(8)邑南町羽須美地域散策⑥ 琵琶甲城②

 主郭に近づいてきました。主郭の一段下の郭の西端に窪みが見られます。トイレ跡か井戸跡かまだ確認できていないようです。回虫の卵でも出て来ればトイレですが・・・。主郭の東端下に川原石がごろごろしています。案内してくださった地域の方は、戦の時この石を転がして攻めてくる敵を防いだのではないかと言われていました。なるほど、このような石が上から転がってきたらとても登ることはできません。主郭はかなり広い平坦地となっています。当時はどのような建物が建っていたのでしょうか。主郭からは羽須美地域が木々の間から見えました。このほか、釜屋の段と言われる不整地な面や連続竪堀などが見られました。地域の詳しい方に案内いただき本当に幸運でした。


主郭の一段下の郭の西端に窪みが見られる(トイレ?井戸?)

主郭の東端下に川原石がごろごろ

主郭(かなり広い平坦地)

主郭からの眺め

竪堀

2017年3月23日木曜日

JR三江線に乗って(7)邑南町羽須美地域散策⑤ 琵琶甲城①

 琵琶甲城跡に登ります。琵琶甲城は1543年に大内義隆が尼子氏の月山富田城攻めで敗退後、毛利元就が毛利領の北の守りのために廃城となっていた矢羽城を強化し志道(口羽)通良を籠らせたことから始まります。以後1600年4代口羽元通が毛利氏に従って萩に移り廃城となるまで57年間口羽氏の城でした。登山道脇にはイノシシやシカの防護柵が張ってあります。この地域も獣害に悩まされているようです。登山道は細い尾根道になっています。これでは大軍でも一人ずつしか歩けません。途中見張り台があったのではないかと思われる郭や、いくつかの郭、貯水池ではなかったかと思われる窪みなどがみられますが、学術的な調査が行われていないようで、詳細は分かりません。所々に誘導標識が設置してあり助かります。
登山道脇はイノシシやシカの防護柵が張ってある

細い尾根道が続く(大軍でも一人ずつしか通れない)

郭跡(見張り台でもあったのでしょうか)

郭跡(登山道脇に郭の跡が見られる)

城跡への誘導標識

2017年3月22日水曜日

JR三江線に乗って(6)邑南町羽須美地域散策④宗林寺~宮尾八幡宮

 宗林寺から出羽川沿いの道を通って、口羽氏の居城琵琶甲城跡に向かいます。水鳥が勢いよく水の上を走って飛び立ちます。登山口は口羽小学校跡地から、宮尾八幡宮の鳥居をくぐり、石段を上ります。宮尾八幡宮では姿のいい狛犬が迎えてくれました。琵琶甲城跡へはこの神社の脇を通って登ります。
琵琶甲城跡

勢いよく飛び立つ水鳥

小学校跡から宮尾山八幡神社の鳥居をくぐって石段を上る

宮尾山八幡神社

狛犬

2017年3月21日火曜日

JR三江線に乗って(5) 邑南町羽須美地域散策③宗林寺②

 宗林寺は口羽氏の菩提寺であったため、鬼瓦は口羽氏の家紋です。毛利氏の家紋と似ていますが、一文字に三つ星ではなく、二文字に三つ星です。口羽氏は毛利氏の庶家の志道氏の二男通良が琵琶甲城の城主として入城し口羽氏を名乗ったことから、毛利氏に縁があるが、毛利宗家に遠慮して二文字に三つ星にしたのだそうです。宝蔵堂には口羽通良公の坐像や浩雲禅師坐像などが納められていました。
墓地から見た宗林寺

鬼瓦は口羽氏の家紋二文字に三つ星

宝蔵堂

2017年3月20日月曜日

JR三江線に乗って(4) 邑南町羽須美地域散策②宗林寺①

 宗林寺の山門は建立年代は分かりませんが、組物が素晴らしい建物です。木鼻の獅子のひょうきんな顔が印象的です。宗林寺裏の高台に初代の口羽通良・通良の室の壽榮・三代通平などの墓がありました。この墓は後に建てられたもので、もとの位置は違う場所にあり、五輪塔や宝篋印塔であったようで、一部が墓の後ろに置いてありました。
宗林寺山門

見事な木組み

ひょうきんな顔の獅子の木鼻

口羽氏の墓

もとは五輪塔であった